今後の活動に向けて
イタリア留学を終えた今、それまでぼんやりとしていた夢への道のりがまた少しはっきりした気がします。
それは今までと同じで、環境を変えるたびに少しずつ目標を変えてきました。
目標設定
➀大学入学を帰国子女枠で簡単に受験したい。
↓高校から留学を始める。
×英語力不足+帰国子女枠難しい
➁フットボールの現場で指導者として働きたい。
↓イギリスの大学でフットボール科学を学ぶ。
⚪︎英語力向上
×就職難しい=帰国するしかない
➂ヨーロッパで指導者の勉強をしたい。
↓日本で現場の経験とお金を貯めて、ヨーロッパ(今回はイタリア)へ行く。
⚪︎知識のアウトプット+第3言語習得
と、ざっくりとはこんな感じ。
現在地はこの“次”の段階です。
それは、
➃ヨーロッパでNo.1の日本人指導者になりたい。
です。
ーなぜか?
理由は2つあります。
1つはヨーロッパ1部リーグに置ける日本人監督の実績がないこと。
→1番は「言葉=文化への理解」の問題が大きいと思います。
言葉が話せないから日本を出ない。言葉が話せないから理解できない。言葉が話せないから伝えられない。
コミュニケーションが取れなければ指導者は成り立ちません。その部分で、能力が高いことが条件の上でフットボールの理解を深く持っている必要があります。
今では中田英寿さんをきっかけに、たくさんの選手がヨーロッパへ渡り、活躍することが普通になりました。
これからは指導者も!とここ数年言われていますが、そこまで志がある人間とそれをバックアップする仕組みは出来ているのでしょうか。
もう1つは日本人の規律性と勤勉さと欧州各国の文化の融合には可能性があるから。
フットボーラーなどのスポーツの世界だけではなく、アーティストやデザイナー、作家に技術者など世界で活躍する日本人はたくさんいます。
それは他国にはない「和」や「協調性」や「繊細さ」に「我慢強さ」を発揮しつつ、それぞれの地へ適応していた結果だと思います。
そしてチームスポーツでは各々の強みを上手く活かし、適応させるだけでなく、まとめなければいけません。
特にスペインやイタリア、ポルトガル人の指揮官たちは色んな国で指揮をしている人が多いのが事実ですが、同じ人間の日本人にとってはこれは無理な事なのでしょうか。
これを実現する為に、
・言葉を学ぶこと(=最低限英語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、ドイツ語、フランス語)
・欧州で経験を積み続けること(=ライセンスの取得)
が必要と感じています。
第3言語(日本語と英語以外)を学びながら、指導経験を積むという経験はこの半年間のイタリアで大枠理解することができました。
ここから更なるレベルアップのためにもやはりライセンスの取得は欠かせません。
そのため9月からは
アイルランド🇮🇪
へと向かう予定です。
改めて英語でフットボールを勉強する。そして2019年までにUEFA Bライセンスを取得することが、その後ヨーロッパでの活動を円滑にしてくれると信じているからです。
そこで、
"[協力者]を探しています。"
どのような形でも構いません。
同じ夢を見ている若い指導者からこのような活動を支援したいという方まで。SNSの使い方や資金の集め方、セルフブランディングの方法など。
僕自身にはまだまだ知らない事がたくさんあるので、上記した活動に賛同していただき、かつ色々教えてあげてもいいよという方がいれば、ぜひご連絡頂きたいのです。
[各種プラットフォーム]
個人のホームページを持っていない為、各SNSを通して様々な発信を試みています。
また通訳や翻訳などのお仕事関係から留学相談なども受けつけております。
それではよろしくお願い致します!!
“6/6”
とうとう予定していたイタリアでの24週間の生活が終わりました。
2月10日(土)から3月9日(金)までの最後の4週間での気付きを振り返ります!
発信
携わっているチームでの練習、そしてSNSの使い方。
この2つに共通して学んだのは、どんどん発信すること。
チームの練習に関しては、自分自身の語学力・選手の能力・コーチとの信頼関係・選手とコーチ間の雰囲気を理解するなど色々な目的や理由で最初の3ヶ月は「観察」を主にしていました。
なので練習を年明けから見始めたこともスムーズに行ったと思います。
ただやはり練習では共通理解の上、行う必要があります。それには言葉が大事です。
最初は説明も簡単なもので練習を行っていましたが次第に、なんの為にやるのか?同じ認識を持っているのか?がどうも揃っていないと感じるようになったので、個人的にテーマを設けました。
ミニボードやデモやボディランゲージなどあらゆる手段でやるべきだと思う理由、テーマに関しての意見などを交換しあってから練習を開始することに。
やはりこの方が内容も強度も充実感も高くなります。
当たり前の事のようですが、他のコーチは口だけの説明で全て終わらせていたので、この大切さを痛感しました。
これとSNSはよく似ています。
例えばTwitter。
最初は色々な人の意見を観て参考にする=観察、だけで充分だと思っていました。
しかし、練習と同じくもっと良いように活用することができます。
自分が何を思っているのか、何故そう思うのか。発信し続け、共感してくれる人はついてきてくれます=フォロワー。
フォロワーを増やすだけのためには何も意味がないと思いますが、発信をして意見交換を交わせる相手が増える事によって考えが精錬されていったり、新しい物事の捉え方を学ぶことができます。
とはいえ使い方や適応の方法によっては色々な可能性があるSNSはまだまだ未知数なので、使いながら理解を深めるしかないですね。
時間の価値
24週間。
約6ヶ月。
本当に、アッ!、という間でした。
今まで1年から3年の期間で次の舞台へと移っていたので、名残惜しさと充実感が程よく混ざった感覚です。
ただこれだけ短い期間でも沢山の事を学び、発見し、身につけました。
特にイタリア語という全く新しい言語の0からのスタートは、自分でも成長をとても実感しやすかったです。
言語を身につけると同時に高まるあらゆる物事への理解度は、とても楽しく「言葉を学ぶ」醍醐味だなと感じます。
だから今回の留学での1番の収穫は、どれだけ短い期間でも人は多いに成長することは可能で、尚且つ難しい時期にやった分そのまま後に返ってくる。ということ。
もちろん長期的にでしか身に付かないことはあるので、そこを見極めて今大事でやるべき事と向き合って、自分に与えてあげるという条件付ではあります。
さて“予定”は終わりましたが、フットボール同様ここからはアディショナルタイム。
どのような形でこのイタリア旅を終えるか。
その様子はまた帰国してから報告します!
それでは!
“認識”
日本で動き続けていた中で、色んな場所に行っては学ぶことだらけでした。
その中でも普段関わる機会が少ない分野の方々との出会いは大きな出来事で、気づいたことがたくさんありました。
障がい者サッカー。
2016年と2017年の春に都内で行われたイングランドFAの講師による障がい者サッカー講習会に通訳として参加させてもらいました。
障がい者サッカーとしては、2016年の講習会直後にJIFF(Japan Inclusive Football Federation/日本障がい者サッカー連盟)という7つの競技団体が1つになった連盟が発足したほど↓
その7つはこちらです。
ーJAFA 切断障がい
ーJCPFA 脳性麻痺
ーJSFA 精神障がい
ーJFFID 知的障がい
ーJBFA 視覚障がい
ーJDFA 聴覚障がい
“フットボールを通して共生社会を目指す”
それれまでパラリンピックなどでなんとなく耳にしたり時々テレビで目にするくらいで、実際に関わる機会はありませんでした。
なので正直最初は、
「フットボールにはそんな力があるのか」
と驚きました。そしてやっぱり、
「フットボールは良いな」
と改めて思いました。
同じフットボール。
その講習会の中で、ハッとさせられたことがあります。
例えば、なぜ人々はフットボールをするでしょうか?という質問。
・友達を作りたいから
・体型を維持したいから
・モテたいから
・楽しみたいから などなど
人によって理由は様々です。
それでは、良い指導者の質とは?
・優れたコミュニケーション能力
・整理する能力
・評価する能力
・柔軟性
・情熱
・オープンマインド
・豊富な知識/理解度 など
PDCAをきっちり行い、かつ人間性としても素晴らしくあるべきです。
何をハッとさせられたかというと、
このどちらの内容も障がい者サッカー(のみに限らずスポーツ全般)にそのままそっくり当てはめられることが出来るのです。
健常者も障がい者も何も違うことはないよ、ということ。
もちろん各障がいごとに考慮する事項がありますが、それは健常者なら個人個人を無視していいということではないですよね。
男子も女子も子供もオーバーエイジもフットサルもビーチもそれぞれに特徴があって、指導者はそれに合わせて上記の質と共に選手を導いてあげる必要がある。
それと同じように障がい者サッカーも考えましょうね、と。
だから講習会の中で講師から発せられた、「良い指導者はどの分野でも良い指導者である」という言葉にはとても納得したし、そんな指導者になりたいなと強く思いました。
個々への認識と違う技量にあわせたトレーニングメニューの作り方や発展のさせ方はとても勉強になり、フットボールの観点を更に深めることが出来た講習会でした。
基本的なこと。でもとても大事なこと。
まだまだ気付けてないことがたくさんあると思うので、学び続けます。
続く。
“行動し続ける”
みんなと同じじゃなきゃいけないとか、違いを作らなきゃいけないとか、色々な周りの声で左右されることもあります。
ですが、そこにあるものは皆平等にあり、1番は自分が良いと思ったことを選ぶ。それで学んでいけば良いんです。
今回は、準備期間中にヨーロッパへの再出発に向けて何をしてきたかをお話しします。
出来ることから。
帰国後、1番気にしていたのは立ち止まらないこと。
[2015.9〜2016.3]
何が出来るか?何がしたいか?
“2年間の滞在”と“ヨーロッパでキャリアを積んでいく”ことは決めていたので最初に考えたのは、 戻った時にどんな内容の履歴書(=CV)であれば採用してもらえるか、でした。
もちろん指導が1番積みたい経験なので、まずはそこから。
実家の近くにある某フットサルスクールのアシスタントコーチが募集されていたので、応募し、すぐに採用していただきました。
そこを一本の軸とし行動していきました。
空いた時間にはなるべくたくさんの方々に会って相談をし、常に可能性を探っていました。
そして慣れてきた3ヶ月後からは、もの足りなさも感じるようになり掛け持ちを始めます。
知り合いの方にお願いして某Jクラブのスクールでも働かせていただいたり、1つ上のカテゴリーも観たかったので母校の中学校で外部指導者としても手伝い始めました。
また指導者講習会もD級ライセンスを取りに行ったり、数少ない関係者の紹介のお陰で講習会の通訳やチームのリエゾンのお仕事をさせてもらったりなど、機会があれば指導以外の場にも足を運ぶようになりました。
[2016.4〜2017.3]
色々と相談に乗っていただいた中で、たくさんの方々を紹介していただいたのも事実です。
そんな中、某代表選手のスクールで働きませんかとオファーを頂きました。
僕が学んできた事とそれをアウトプットする必要があることを深く理解していただいたので、二つ返事で了承しました。
仕事内容はフィジカルトレーニングを主に担当すると共に各クラスのアシスタントコーチをすること。そしてコラムを執筆すること。
実際の現場で幼稚園・小学生年代を相手にフィジカルトレーニングのプログラムを組むことやブログを通して自分の体験を発信することは初めてのことでした。
加えて1シーズンをちゃんと日本で働くこともこれが最初で、1年の流れを捉えながら自分の中の挑戦にトライしていくのは面白かったです。
あと帰国後に始めたフットサルスクールは、学びが多かったので、中学校の部活も含め掛け持ちを続ける形で働かせてもらいました。
そしてサッカー協会のお仕事も不定期に依頼していただいたり、バルシューレやSAQトレーニングというフィジカルトレーニングの講習を受けたり、C級ライセンスも受講するなど、プラスαでも不安を必死に消すかのごとく動き回っていました。
[2017.4〜2017.9]
協会から依頼される仕事が増えたこと、新学期を迎えたこと、残りが決まっていたことなど。
あらゆる事を踏まえてフットサルスクールの方は辞め、施設運営を兼任する形でもう一方のスクールにて集中することにしました。
この方が身軽に動けるからです。
そしてヨーロッパ再出発へ向けての準備やその先へ向けて考える時間も必要だったことから、スケジュールを管理しやすいようにシフトしていきました。
大切な考え方。
結果途切れることなく様々な経験を積めたのは、職場の方々の寛容さや仕事を依頼してくれる方々の信頼に加え、歩みを止めることなく、1つ1つの仕事に応えていったからだと思います。
通訳やリエゾンという可能性も、ただ何もやらず過ごしていたら、見つけられなかったはずです。
そして、何よりもまた違った視点からフットボールを学ぶ・人に伝えるという自分自身が大切にしている指導者としての要素も満たすことができました。
積み上げてきた経験値や知識が増えれば増えるほど、できる仕事の質も上がっていきます。
ただこれは年齢がどうとか立場がどうとかというのは関係ないはずです。
今から違う分野を本気で学ぼうと思えば、当然1からで、とある分野で積み上げてきたものは助けにはなるけど、一切関係はありません。
だから何歳になっても、色んな「無知」を見つけ探求していく・学び続ける精神は失なわないように心掛けたいです。
それが1番のフットボールの指導に活きれば、幾らでも成長できるからです。
続く。
“選ぶ”
“What’s next” - Through Football
大学が終わり、日本に帰国するまでの経緯を綴りました。
この期間を経て、現在イタリアに滞在しているのですが、個人的にはまだ消化しきれていない部分もありますので、まずは全体的なお話をしていきます。
まとめ。
結果から言えば、帰国後活動していた約2年間は充実したものでした。
“日本”を知る。
その点で土地も食事も人も仕事も「0」だった僕には、真新しく、新鮮で楽しい経験が積めた期間でした。
日本に居たからこそ出来たこと。
個人的には、
社会人としての最低限のマナーやルールを学ぶ。
指導経験を積む。指導を学ぶ。
学んできたことを母国語でアウトプットしていく。
通訳やリエゾンとして仕事をする。
といったところでしょうか。
自分が「どこの国の人間か」というのは切っても切り離せません。
海外に出て日本人であることを強く感じるというのは、例外なく僕もそうでした。
だから良いところも悪いところも知っておく必要があります。
それがわかればわかるほど他国の文化を理解したり、受け入れたり、興味を持つことができるのです。
また新たな出発に向けて、
自分の中の日本人をアップデート
したような、そんなところが一番重要だったのかなと思います。
選択の話。
色んな人と関わることで多くの機会が。
色んな物を見ることで多くの情報が。
色んな話をすることで多くの気づきが。
そんなことを身をもって体験出来ました。
何を得るかは何を選ぶか。
当然ながらそうなんです。
何もしなければ何もありませんし、行動すれば何か起こります。
選択肢は誰しも平等にあって、どれを選ぶにしてもその人の自由なんですよね。
これってどれだけの人が気づいてるのでしょうか。
じゃあ自由だからって何をしてもいいのか。
それもそれで違います。
人に迷惑をかけないとか傷つけないとか道徳的なルールがある中での自由です。
どの選択が1番か。それは誰にもわかりません。
だけど、選んだものがその人にとって現実的な理由にしても感覚的な理由にしても面白くて人生が豊かになるならいいんじゃないかと思います。
間違ったとしても否定をせずにアドバイスをもらい、失敗しても学べばいいんじゃないでしょうか。
ネガティブなことを考えて、悩んで何もしないでいるほど時間はないです。
同じ時間を過ごすなら少しでもワクワクしていたいですよね?
だから、やっぱり人生でもその瞬間瞬間に良いと思った選択を続けていきたいし、楽しんでいたい。
と、改めて感じました。
フットボールを通じてなのか、
人生経験を通じてなのか、
どちらにしてもやっぱり通じるものがあるんだなと気付けました。
続く。
“What’s next”
“Insight/Outsight” - Through Football
実習を素晴らしい環境でさせてもらえたことで、ある種“味を占める”ような体験をしましたが、ここから、が問題でした。
大きな壁。
ーインターンが終わる。
すなわち大学生活も終わりを意味します。
この後、どうするのか?というのは完全に未定でした。
今までは学校という道を進むだけでしたが、ここからは自分で具体的な道筋を立てていかなければいけません。
第一優先はもちろんイギリスで就職すること。
とにかく残って、クラブチームなどで経験を積み続けることが出来れば、それ以上な事はないと思っていました。
しかし、そんなに簡単にいきません。
2011年にEPPP(Elite Player Perfomance Plan)という育成改革計画を作り出し、これに則ってクラブをカテゴリー毎に分ける事でより良い若手選手を輩出しようというものが打ち出されました。
その中で各クラブにスポーツサイエンティストもいなければならないことになり、現在では多くのチームにスポーツ科学の部署とスタッフが存在します。
僕が卒業した頃にはある程度月日も経過していたため、仕事は募集されているのですが、条件に➀最低2年以上の経験➁最低修士を取得しているなど、その時点では満たない項目が出されていて、面接に行くこともほとんどありせんでした。
かといって大学院に進んで専門的に学ぶのか?
そう言われると、本当にやりたいことなのは何なのかが少しブレるような気がしました。
試合分析やスポーツ科学で極めて、クラブチームで働けるならそれに越したことはないんですが、それってテクニカルコーチとは役割も知識も全く違ってきます。
今実際、同じくインターンでやっていた同期が3人そのまま雇われて働いています。
それはそれで良い刺激になるのですが、彼らが目指しているところと自分が目指しているところは違います。
なので、羨ましがる反面、僕も力をつけてそこに辿り着こう。そう考えました。
そこで帰国での滞在期限を決めました。
最長2年。
資金を準備するのもそうですし、夢や自分の意思や現地の肌感覚に取り残されないためにも、この期間内でやれる事をやり切りって、またヨーロッパに戻ろうと覚悟しました。
止まらない。
日本に帰ってきてからまず最初にしたことは、とにかくフットボール関係者に会いに行き、話を聞かせてもらうことでした。
この時点で決まっていることは2つ。
➀いつまで日本にいるか。
➁指導者として経験を積みたい。
ただ、
具体的にどこで何がしたいか?
この経歴で何をさせてもらえるのか?
がわかっていませんでした。
それでも色んな方々のご協力でたくさんの人とお話をさせて頂きました。
その中で、自分のような人間がどう思われるのか、どこで必要とされるのか、どうあるべきなのか徐々に理解できるようになりました。
僕は自分で考えるにはやはり限界があると思います。
もちろん内容にもよりますが、やっぱり知らないことは知らないし、自分の頭で考えつくことは結局新しくも何もないのです。
新しい考えや実際の意見など、影響されすぎるのは良くないと思いますが、他人の口から聞いて「知る」事はとても大事だと気付きました。
そんなことを1から学びながら、ヨーロッパへ再出発するための日本の生活が始まりました。
“5/6”
前回は休みで一度リセットした期間でした。
今日はその後、1月13日(土)から2月9日(金)までの4週を振り返ります。
再出発
年明けは、今現在お世話になっているMilan Ladiesのフロントスタッフから、友達ということでInter Academy 中国支部で働いているコーチを紹介してもらいました。
その流れでU15の試合も観れましたし、海外展開しているアカデミーですが指導者としてはしっかりと本部の下部組織と繋がりがあるということで、協会の取り組みやインテルのプログラムなど色々な話を聞かせてもらいました。
一方、僕のチームでは、やっとコーチたちもプログラム化して練習をやろうということになり、僕も彼らを説得して一部のセッションをやらせてもらっています。
相変わらず時間通りに始まらなかったり、話が長かったり、人数が少なかったりと色々な問題を抱えている状況です。
ただこの問題がどこにあるのか?それをよーく理解した上で、少しでも前向きに向かうように変えていければいいなと思います。
そしてこのブログではこれまでの経験も一旦整理するために記憶を辿って書き始めました。
留学するきっかけ、フットボールの世界にのめり込んだ理由、これまでの成り行きなどなど…
言葉にして伝えようと考えるだけでも、先々に活きてくることを多く発見している気がします!
参考になるかわかりませんが、ここからでも読んで頂ければ幸いです!↓↓
“Insight/Outsight” - Through Football
未定
ちなみに話は変わりますが、1月中旬に行われたイギリスのワーホリ募集。
僕も応募したのですが、見事に落選でした。
狭き門とは聞いていたので、当たれば相当今年はついてるだろうな!と思ったら案の定外れましたね。汗
ということで、今後の予定も組み直しです!!
先のことも考えながら、ミラノでの生活もまだ1ヶ月以上あるので、今まで以上に楽しんでいきます!
それでは!