Through Football

世界の"フットボール"を通してJAPANESE STANDARDを考えていきます。

“What’s next”

 

“Insight/Outsight” - Through Football

実習を素晴らしい環境でさせてもらえたことで、ある種“味を占める”ような体験をしましたが、ここから、が問題でした。

 

大きな壁。

 

インターンが終わる。

 

すなわち大学生活も終わりを意味します。

この後、どうするのか?というのは完全に未定でした。

 

今までは学校という道を進むだけでしたが、ここからは自分で具体的な道筋を立てていかなければいけません。

 

第一優先はもちろんイギリスで就職すること。

 

とにかく残って、クラブチームなどで経験を積み続けることが出来れば、それ以上な事はないと思っていました。

 

しかし、そんなに簡単にいきません。

 

2011年にEPPP(Elite Player Perfomance Plan)という育成改革計画を作り出し、これに則ってクラブをカテゴリー毎に分ける事でより良い若手選手を輩出しようというものが打ち出されました。

 

その中で各クラブにスポーツサイエンティストもいなければならないことになり、現在では多くのチームにスポーツ科学の部署とスタッフが存在します。

 

僕が卒業した頃にはある程度月日も経過していたため、仕事は募集されているのですが、条件に➀最低2年以上の経験最低修士を取得しているなど、その時点では満たない項目が出されていて、面接に行くこともほとんどありせんでした。

 

かといって大学院に進んで専門的に学ぶのか?

そう言われると、本当にやりたいことなのは何なのかが少しブレるような気がしました。

 

試合分析やスポーツ科学で極めて、クラブチームで働けるならそれに越したことはないんですが、それってテクニカルコーチとは役割も知識も全く違ってきます。

 

今実際、同じくインターンでやっていた同期が3人そのまま雇われて働いています。

 

それはそれで良い刺激になるのですが、彼らが目指しているところと自分が目指しているところは違います。

 

なので、羨ましがる反面、僕も力をつけてそこに辿り着こう。そう考えました。

 

そこで帰国での滞在期限を決めました。

 

最長2年。

 

資金を準備するのもそうですし、夢や自分の意思や現地の肌感覚に取り残されないためにも、この期間内でやれる事をやり切りって、またヨーロッパに戻ろうと覚悟しました。

 

 

止まらない。

 

日本に帰ってきてからまず最初にしたことは、とにかくフットボール関係者に会いに行き、話を聞かせてもらうことでした。

 

この時点で決まっていることは2つ。

➀いつまで日本にいるか。

➁指導者として経験を積みたい。

 

ただ、

具体的にどこで何がしたいか?

この経歴で何をさせてもらえるのか?

がわかっていませんでした。

 

それでも色んな方々のご協力でたくさんの人とお話をさせて頂きました。

 

その中で、自分のような人間がどう思われるのか、どこで必要とされるのか、どうあるべきなのか徐々に理解できるようになりました。

 

 

僕は自分で考えるにはやはり限界があると思います。

 

もちろん内容にもよりますが、やっぱり知らないことは知らないし、自分の頭で考えつくことは結局新しくも何もないのです。

 

新しい考えや実際の意見など、影響されすぎるのは良くないと思いますが、他人の口から聞いて「知る」事はとても大事だと気付きました。

 

 

そんなことを1から学びながら、ヨーロッパへ再出発するための日本の生活が始まりました。 

 

続く。“選ぶ” - Through Football

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