Through Football

世界の"フットボール"を通してJAPANESE STANDARDを考えていきます。

“Introduction”

プロフィール

 

 

中村 達 (ナカムラ サトル)

 

 

1992年12月28日に、日本人の父親と中国人の母親の元、イタリアはミラノにて命を授かりました。

  

 

4歳頃までイタリアで過ごし、幼稚園に通い始める時期と共に日本に帰国。

(当時の記憶は全くありません。もったいない…)

 

 

帰国してから小学校2年生までは京都府奈良県の境にある高の原(京都府)という場所に住んでいました。

 

 

そして父親の転勤で神奈川県へと引っ越し。

 

最初に移って住んでいた場所も小学6年生の前期までだったので4年間と短かったですが、それからは現在の実家でずっと暮らしています。

なので出身地を聞かれると神奈川県もしくは横浜と答えることが多いです。

(説明の手間も含めてですが。)

 

 

中学校を終えると同時に、留学という決断をし、再度日本を離れる事になります。

 

 

 

2008年4月から2010年11月

オーストラリアメルボルンにある

Elwood Collegeという留学生の受け入れもしている現地の学校に通っていました。

 

 

その後、

 

2011年6月から2012年5月

ワーキングホリデーを使って、カナダバンクーバーで過ごしました。

 

 

そして、念願の

 

2012年9月から2015年8月

イギリスリバプールにあるリバプールジョン・ムーア大学スポーツ科学科サッカー科学部にて学士を取得。

2:1という最も普通の成績を収め卒業しました。

 

 

その後日本に帰国し、

 

2015年9月から2017年8月

主に某スペイン系と某日本代表選手のサッカースクールでお世話になりました。

 

またその合間にはサッカー協会を通じて様々な講習会や大会、そして合宿などでの通訳としてのお仕事もさせていただきました。

 

 

その日本での2年間を経て、

 

2017年9月から

今現在イタリアミラノ語学学校へ通いながら、Milan LadiesというセリエBの女子クラブチームでお手伝いをしています。

 

 

 

 

なぜ留学?

 

そもそもなぜ留学をする決断になったかと言えば、2つ。

楽をしたかったから と 何も持っていなかったから です。

 

 

 

小さい頃から長いこと公文に通っていたんですが、先生が全然助けてくれないからと嫌になって辞めて、通い始めた塾が早稲田アカデミー

 

そう、受験塾です。

 

未だになぜここにしたのかわからないですが、する気もなかった受験のために1年ちょっと必死に勉強しました。

 

結果は1校のみ受験して不合格。

 

 

落ちた事よりもこの受験に対してのエネルギーをまた高校でも繰り返すということが考えられませんでした。

 

 

 

更に中学校の進路相談で、これからどうしたいのか?という将来設計をする際には、ここの高校に行きたい!という学校も無かったというのが事実です。

 

なぜかと言えば、打ち込んできたモノが無いから

 

水泳を習っていましたが、素人に毛が生えた程度で中学校でも水泳同好会として夏に活動するのみ。

 

小学校の時はバスケにハマっていた時もありましたが、中学校の部活で本気でやってきた人たちについていけなかったのとそこまでの本気度が無く最初の半年だけで退部。

 

 

何かスポーツに強みがあったわけもなく、勉強も受験でやりきったつもり。

 

 

そこで思いついたのが、留学でした。

 

 

英語を身に付ければ、将来いつか役に立つ!

ましてや大学受験は帰国子女枠[海外の学校で2年度以上在籍]で受ければ普通に勉強するより楽だろう!

(←実際全くそんなことないです!)

 

 

と、めちゃめちゃ甘い考えでしたが、覚悟とか不安とかよりもやってやるぞ!という楽しみやワクワクが多かったです。

 

 

 

今考えてもこの道しかなかったように思えます。

 

 

 

文武両道という言葉がありますが、当時の自分は勉強も運動も中途半端でした。

 

あのまま日本に残ってもダメダメなまま25歳を迎えていたでしょう。

 

海外に行くのはある意味、荒治療ではありますが、自ら見つけて選ぶことが出来たそれが可能な環境に恵まれていた、ということが1番幸運なことでした。

 

 

 

 

続く。“Why Football?” - Through Football

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