Through Football

世界の"フットボール"を通してJAPANESE STANDARDを考えていきます。

“Difficulty”

 

語学学校に通っている中で、日々新しい言葉を学んでいます。

 

そんな生活の中で僕も含めてそれぞれの生徒が「新しい物事を理解する」時にふと思ったことを今日は書いていきます。

 

 

 

“難しさ”とは何か。

 

 

難しい を調べると、デジタル大辞泉(小学館)ではこう出てきます。

 

1 理解や習得がしにくい。複雑でわかりにくい。難解である。「説明が―・い」「―・い文章」⇔易しい。

2 解決するのが困難である。「―・い事件」「―・い注文」「―・い病気」⇔易しい。

3 実現するのが不可能に近い。「生還は―・い」「登頂は―・い」⇔易しい。

4 状況などが込み入っていて、対処するのがやっかいである。「立場が―・くなる」「事態を―・くする」

5 人の扱いがめんどうである。「一緒に仕事をするのに―・い相手」「―・い年頃」

6 好みなどがうるさい。「服装に―・い人」

7 不機嫌である。「―・い顔をする」

8 不愉快である。うっとうしい。

「女君は、暑く―・しとて」〈源・若菜下〉

9 むさくるしい。きたない。

「かく―・しき所にのみ籠 (こも) り侍れば」〈宇津保・吹上上〉

 

言葉を学ぶ所でいうと、当然①②、そして場合によっては他の意味合いも含んでいるでしょう。

 

文字の羅列の違い。

 

ニュアンスの違い。

 

文化の違い。

 

その日の気分。

 

 

様々な要素が 難しさ を引き立てるのかと思います。

 

 

 

問題はこれから。

 

 

 

では一体こういった問題と、どう向き合うか?

 

 

 

“難しさ”の捉え方。

 

 

例えば、同じローマ字の並びでも英語やドイツ語とイタリア語では発音が違います。

 

 

また、文法で言えば時系列の捉え方・説明の仕方は他の言語には無いものが存在しています。

 

 

今までの習慣と違うものに挑戦するのは、もちろん難しいんです。

 

と言うよりも簡単ではないです。

 

 

だけど、習得するにはそういうものだと理解しなければいけません。

 

 

僕は、イタリア語を学ぶ上で「結局はイタリア人じゃないから」とある種割り切って、難しくて当たり前というスタンスで言葉を学んでいます。

 

 

だってそもそも日本語とイタリア語って使う文字も文法も違うじゃないですか。

 

 

だから考え方や受けてきた教育も違って当たり前ですし、それがわかりにくくて当たり前なんだと思うんです。

 

 

言葉を学ぶということは、ある種イタリア🇮🇹全てを学ぶと言っても過言では無いと思います。

 

 

なので数ヶ月で言語を利用することはある程度出来るかもしれませんが、本来の形として、ニュアンスも理解して使い分けるには時間がかかって当然なんです。

 

 

 

“難しさ”と付き合う。

 

 

難しい!と思うことは多々人生の中であると思います。

 

 

しかし、それは本当に難しいんでしょうか?

 

 

頭の中で、「難しさ」を認識した時点で諦めてはいないですか?

 

 

だから僕は「簡単ではない」という表現の方が好きです。

 

 

どこか諦めたような表現と、これから立ち向かうんだという表現とで気持ちの差があるような気がします。

 

 

時間は掛かるかもしれないけど、レベルの高い問題に立ち向かい、解決して出来るようになることはとても楽しいことだと思います。

 

 

簡単なことばっかりの人生だったら、つまんないですよね?

 

 

 

僕はそう思います。

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