Through Football

世界の"フットボール"を通してJAPANESE STANDARDを考えていきます。

“Life Lessons”

紆余曲折

 

前回までは“Beginning of Football Life” - Through Football

 

僕が、現在フットボールの指導者を目指しているきっかけまでのお話を綴りました。

 

 

オーストラリアでの高校生活を経て、イギリスの大学へ移ろうとしていましたが、ここで両親から「待った」がかかります。

 

 

高校3年間の生活を終えた後、更に3年間の留学を支援してもらうには経済的に少し時間が必要でした。

 

そこで「自分でもお金を貯めなさい」と告げられます。

 

18にもなれば当然です。

もちろん僕自身、何もしないで待ちぼうけ、というのは考えていませんでした。

 

それに、英語にまだ自信がなかった僕は、留学生用の大学準備英語コースに通おうと考えていましたが、オーストラリアの高校を出ているため、IELTS6.0以上をとって、入学願書を提出しなさいと大学側から通告をされていました。

 

 

「お金」「英語」

 

 

そこで思いついたのが

ワーキングホリデーでした。

 

 

当時の僕にとって社会に出て、自分で働いて稼いで生活をしていく初めての経験。

 

当然何もないところからのスタートは賭けではありましたが、日本の大学1年生を過ごすよりは良い人生経験になるだろう、という勝手な偏見でカナダバンクーバーに行くことを決めました。

 

 

本当の面白さ

 

ひょんなことからカナダに行くことになったのですが、国の決め方はこう。

 

英語圏であること。

➁物価が安いところ。

 

条件を絞って、あとは消去法です。

 

オーストラリア、ニュージーランドも該当はするのですが、すでに高校で南半球を経験してるという理由でカナダ。

 

そして世界一住みやすいランキングでよく名前が出てくるという理由でバンクーバー

 

たいした理由じゃないですね。笑

 

 

兎にも角にも、行ってからは想像していた以上大変でした。 

 

部屋を探しても良い条件だと思えば、女性限定という一言。

 

なんとか見つけたと思えば、上海出身の家族のバルコニー代わりのようなところに住み、ホームステイでもないのに何かと条件が厳しい制限がある場所でした。

 

その後は、

現地の日本人チームに所属していたのと、

運よく立地が良いところを発見したのもあり、チームメイトの人とシェアをしていました。

 

 

仕事に関しても、あまり募集が出てなく、簡単ではありませんでした。

 

現地に着いてから2か月後、ようやく日本人の寿司職人もいるシーフードレストランで働き始めましたが、料理人になるかの如くの仕事量。

 

そして、仕込みを担当していたのですが、

続々と今までいた人たちが辞めたり、

1カ月ほどで全ての仕込み方を覚なければいけなかったり、

その後にトップシェフが変わって雑用として扱われたりと、常に何か問題がありました。

 

 

毎日が何かに追われているように必死でした。

 

 

終わって、結果4000円のみが残り、貯金という目標は達成できませんでしたが、

 

IELTSでは無事に6.5を取れましたし、

 

何よりも1年間自力で生き抜けたということが何よりもの自信となり、英語以上に学んだことは大きかったと思います。

  

そして1年間荒波のような生活を終えた僕は、ようやく渡英を迎えます。

 

 続く。“From the Worst” - Through Football

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