「席どうぞ」の話
帰国して10日ほどが経ちました。
海外から帰ってくると、何も気にすることなく安心して生活できると同時にカルチャーギャップのような違和感を感じずにはいられません。
そこで今回の帰国中 [4月から8月(予定)] は、滞在している間に気になったこのギャップを通して、日本のフットボール文化の発展のきっかけやヒントになる内容を発信していければと思います。
—————————————————————
皆さんは電車に乗ってる時、お年寄りや妊婦の方などに席を譲ったことがありますか?
なんとなく見て見ぬ振りをしたり、一言だけど言おうか言わないか悩んで…なんてこともありますよね。
以前の僕もそんな感じでした。
少なくとも目の前に座席を必要な人が来ない限り、自ら譲るという行動は起こせませんでした。
イタリアの時、
定期が安く市内に住んでいた事もあり、よく地下鉄を使って移動していました。
「Prego, Signora (ご夫人、どうぞ)」
などと聞く機会がとても多かったです。
何よりもタイミングが早い。
例えば、駅に到着して、扉が開いてご老人が入ってきた瞬間には待っていたかのように席を離れて座るかを尋ねていました。
そして躊躇することなく、席が必要な人を見かけた時には必ずオファーをする。そんな光景が車内では当たり前になっていました。
強制しないことの意義。
何が違うのでしょうか。
思い返せば「優先席」や譲りましょうというアナウンスや貼り紙はミラノ市内の地下鉄にはありませんでした。
一般的にマナーと言われることはどこにも書いていませんでした。
その代わり、人が行動で示し、それを観て学ぶことが多いのだと思います。
実際に僕もそうやって学びましたし行動に移しました。
一緒に住んでいたホストマザーのイタリア人おばあちゃんの息子家族には7歳になる女の子がいましたが、しつけ方は強制するというよりも、わかるでしょ?というような言い方や見せ方をして自己判断に任せる形でした。
一方、日本ではどうでしょう。
電車を例に出しましたが、至る所に様々な案内や注意書きなどがありますよね。
挨拶などに関しても、子供の時に学校や部活などでそこは口酸っぱく言われてきた人がほとんどだと思います。
でも大人になれば、実際に行動に出来る人が少なく、社会に出ても未だマナーについて上司に言われる…などなど。
言葉を言ったりどこかに記したりすることはとても親切です。
しかし、それだけになってしまうと頼り切ってしまう。要するに自分から行動を起こす必要がなくなってしまいます。
一番最初に書いたように、日本での生活では何も気にすることなく安心して日々を過ごせます。
それは海外ではきちんと自己管理をしておかないと色々なトラブルや問題が起きてしまうからです。
でもそれも責任は自分にあり、他人が助けてくれるというのは+αなのです。
こういった文化や教育は決して否定されるものでは無いはずです。
むしろ、良い部分を利用して素晴らしい社会人を育てるためにあるのだと思います。
ただ外から学べるものがあれば、その都度、文化を見直して改善していく必要もあります。
強制しない、ということはある程度の自主性を育みますが、一方で規律や集団を重んじるためにはある程度の管理が不可欠です。
グローバル化が進む中で、日本人としてどう生きていくのか。
そういう人材を育てるためにも、日々文化が変わっていく許容範囲がもう少し広がっていってほしいと感じています。